山本有三ってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]みんなで読もう山本有三

山本有三は明治時代に生まれ、第2次世界大戦を経て昭和まで活躍した作家です。「路傍の石」という大変有名な作品を残しているので、読んだことがあるかたも多いかもしれません。芥川龍之介や久米正雄らとともに第3次「新思潮」という雑誌を起こし、新思潮派として知られる山本有三は、戯曲・小説の分野で多くの作品を残しました。また山本有三は戦後、参議院議員となり政治家として日本の未来のために奔走しました。そこで今回は、文壇と政治家として活躍した山本有三の生涯をご紹介します。

山本有三の生涯

山本有三(本名・勇造)は、1887年、現在の栃木県栃木市に生まれました。父方の家系は宇都宮藩士の出身でしたが、時代を経て呉服屋を営むことになりました。演劇好きの母ナカの影響で、有三自身も幼い頃から演劇に関心を持ったそうです。こうした経験が、のちの有三の作品に影響を与えたのかもしれません。

高等小学校卒業後、父親の指示で東京の呉服店に奉公となりましたが、耐えられなかったのか逃げ出して実家に帰ることになりました。しばらくは実家の呉服店を手伝っていましたが、1905年、母の後押しで再び上京します。1909年に旧制一高に入学し、事情があり中退となりましたが、その後東京帝国大学(現東京大学)のドイツ文学科に入学しました。大学の卒業論文はハウプトマンに関する論文だったそうです。※ハウプトマンとは19世紀から20世紀半ばに活躍したドイツの劇作家、詩人です。

大学在籍中に芥川龍之介や久米正雄、菊池寛などと出会い親交を深め、雑誌「新思潮」を発刊します。このことから有三は、「新思潮派」の作家として世間から認知されるようになりした。

とても優秀だった有三は、大学卒業後すぐに早稲田大学の講師として働き始めます。また学生時代から戯曲を発表していたことから、1920年(大正9)に「生命の冠」で文壇にデビューし、その後「同志の人々」などさまざまな作品を世に出します。

1926年(大正15)には新聞に「生きとし生けるもの」を連載。有三は人気作家の道を駆け上がります。人気作家となった有三は、1932年(昭和7)に明治大学文芸科の科長を務めるなど、教育分野でも後進の育成に力を注ぎました。1936年になると、現在の三鷹市の洋館に移り住み「日本少国民文庫」の編集に携わるようになります。このとき編集主任を務めたのが、「君たちはどう生きるか」で近年話題となった吉野源三郎です。※少国民とは、今で言う児童を指します。

1937年に新聞にて「路傍の石」を連載し、苦しい境遇ながらも懸命に生きようとする主人公の姿に、作品は多くの人の共感を呼びました。この後も有三の精力的な活動は続き、1941年(昭和16)には芸術院会員となり日本文学の啓蒙に貢献しています。そして翌年1942年には、三鷹の自宅を「三鷹少国民文庫」として解放し、子供が自由に本を読める環境を提供しました。

政治家として

第2次世界大戦終戦後、有三は貴族院議員に選出され、1947年に第1回参議院選挙に立候補し、参議院議員となります。政治家となって取り組んだ大きな問題は、いわゆる「国語国字問題」です。

「国語国字問題」とは日本語の表記をめぐる問題で、有三は「ふりがな廃止論」を唱えていました。さまざまな議論を巻き起こした議題で、この問題に参加した作家の志賀直哉は、(日本人も)「世界でもっとも美しい言語であるフランス語を話すべきだ」と主張したそうです。その後、有三は国立国語研究所を設立します。
※現在も大学共同研究機関として、東京都立川市にて日本語や方言の研究を行っています。

有三は参議院議員を1期(6年)務め、緑風会(りょくふうかい)を立ち上げました。緑風会は1965年に解散してしまいましたが、緑風会と命名したのは山本有三だと言われています。

晩年

文学的業績と、政治家としての功績が讃えられ1965年(昭和40)に文化勲章を授与されています。慣れ親しんだ三鷹の自宅はGHQによって没収されてしまい、戦後も研究所などに使われたりなどで戻ることは叶いませんでしたが、現在は山本有三記念館として一般公開されています。

性格やエピソードは?

山本有三の気骨あるエピソードが残っています。上記した「国語国字問題」が起きたときの話です。GHQは日本に対して日本語のローマ字表記を目指す案を出してきました。しかしこれに怒った有三は、「日本語の問題は自分達で解決するから口を出さないでもらいたい!」とキッパリと突き返しました。山本有三が、いかに日本語の重要性を重んじていたかがわかるエピソードです。

死因は?

1974年1月、高血圧症が原因で肺炎となり急性心不全を患いこの世を去りました。享年86歳でした。当時の平均寿命から考えると、かなりの長寿だったのではないでしょうか。有三の命日が1月11日であったことから、有三の「三」と合わせて、命日を「一一一忌」(いち・いち・いち・き)と呼ぶそうです。

まとめ

今回は山本有三の人生についてご紹介しました。劇作家・小説家を続けながら、戦時中は子供たちが読書できるようにと自宅を文庫として解放し、日本の未来を次の世代に託した山本有三。政治家としても活躍し、晩年には文化勲章を受賞しています。さまざまな分野で活躍した山本有三の人生は、まさに波瀾万丈と言えるでしょう。一般的には「路傍の石」ばかりが有名ですが、他にも読む人の心に訴えかける作品が多くありますので、ぜひ山本有三の作品を読んでみてください。

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