尾崎紅葉の作品の特徴及び評価。おすすめ代表作4選。

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尾崎紅葉という作家をご存知ですか?尾崎紅葉の作品を実際に読んだことがなくても、国語や社会の教科書で一度は見たことがある人が多いのではないでしょうか。代表作「金色夜叉」を発表した尾崎紅葉は明治時代を代表する作家となり、現在でも多くの人々にその作品が読み継がれています。文体の美しさで知られる尾崎紅葉の作品には、どのようなものがあるのでしょうか。今回は尾崎紅葉の作品の特徴やおすすめ作品をご紹介します。

尾崎紅葉の作品の特徴や評価

尾崎紅葉は、大学予備門(現・東京大学教養学部)に入学後、山田美妙(びみょう)や石橋思案(しあん)と共に硯友社(けんゆうしゃ)を設立したことで知られ、これは文壇の走りと言われています。1889年(明治22)に「二人比丘尼色懺悔」を発表し、情緒深い「悲哀小説」として流行作家の仲間入りを果たします。

また尾崎紅葉作品の特徴は、作品に「言文一致体」を取り入れたところにあります。「言文一致体」とは、文章を日常の言葉に近い「口語体」で書くことで、尾崎紅葉は今では当たり前となっている文章表現の先駆けとなった人物です。

若くして人気を博した尾崎紅葉は多くの弟子を持ち、泉鏡花や徳田秋声はその代表人物として知られています。牛込の横寺町に居を構えたことから、尾崎紅葉は「横寺の大家」として慕われました。「三人妻」や「多情多恨」などで不動の人気を獲得した尾崎紅葉は、「金色夜叉」にて明治期において最高の読者を獲得したと言われています。同時期に活躍した、幸田露伴の人気も相まって、二人が活躍した時代は「紅露時代」と称されています。

後年、作家の三島由紀夫は尾崎紅葉の作品について次のように述べています。
「『金色夜叉』は当時としては大胆な実験であったが、その実験の部分よりも伝統的な部分で今日なお新鮮なのである」。

俳人としても活躍した尾崎紅葉は、秋声会を設立し正岡子規と並び新派と呼ばれています。
尾崎紅葉の鋭い観察力と豊かな感性は、文学のみならず俳句の世界でも発揮されました。

おすすめ代表作4選

尾崎紅葉のおすすめ作品をご紹介します。35歳の若さで亡くなった尾崎紅葉ですが、その人間描写や心理描写はまさに「天才」と言えるのではないでしょうか。

金色夜叉(こんじきやしゃ)

1897年(明治30)から1902年(明治35)に読売新聞で連載された尾崎紅葉の代表作です。晩年の作品であり、病気のため未完となりましたが発表された当時は一大ブームを巻き起こしました。高等中学生の間貫一(はざま・かんいち)と許嫁の鴫沢宮(しぎさわ・みや)との関係を中心とし、物質欲からくる人間模様が描かれた作品です。

物語の中で貫一が宮を蹴り飛ばすシーンはあまりにも有名で、昭和の時代になっても何度も映像化されています。ちなみに主人公・間貫一のモデルは、児童文学者で紅葉の友人だった巌谷小波(さざなみ)がモデルとされています。貫一が宮を蹴り飛ばすシーンは、小波が恋仲の女性に裏切られたことに怒った紅葉が、その女性の元に行き蹴り飛ばしたことから着想を得たそうです。

また復讐に燃える貫一のセリフ「来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らせてみせる」が有名となり、作中においてこのセリフが1月17日に発せられたことから、1月17日の夜に曇ることを「貫一曇り」と呼ぶようになりました。

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伽羅枕(きゃらまくら)

1890年(明治23)に読売新聞に掲載された作品で、翌1891年(明治24)に春陽堂から刊行されました。尾崎紅葉が22歳から23歳頃に書かれた作品であり、モデルとなった老女の話を聞いて執筆されました。かつて吉原の花魁(おいらん)として人気のあった「老女」の波瀾万丈な人生を色彩豊かに描いた作品です。文明開花が進む明治において、江戸時代の「粋」をテーマにした本作は発表当時こそ批判があったものの、反響となり尾崎紅葉初期の代表作として今日も読まれています。

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多情多恨(たじょうたこん)

1896年(明治29)に発表された作品です。妻を亡くし悲しみに沈む主人公・鷲見(すみ)柳之介。柳之介の境遇に同情した友人の葉山は、自分の家に柳之介を住まわせるようになります。そこで出会った葉山の妻・お種の優しさや一抹の寂しさに触れた柳之介は、次第にお種に心を開くようになります。人間心理の経過を表現した尾崎紅葉の渾身の作品です。

この作品に対して作家の田山花袋は「紅葉の作品でもっとも優れている」と絶賛し、また正宗白鳥(まさむね・はくちょう)は「紅葉最大の傑作」と評しています。

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二人比丘尼色懺悔(ににんびくに・いろざんげ)

尾崎紅葉が21歳のときに書いた出世作です。1889年(明治22)、「我楽多文庫」を刊行していた吉岡書店が、新しい小説を書き下ろす計画を立て、その1冊目として本書が執筆されました。会話文に近い口語体と地の文は文語体という、雅俗折衷(がぞく・せっちゅう)の文章が人気となりました。

尾崎紅葉は「此(こ)の小説は涙を主眼とす」と覚書をしており、二人の比丘尼(※1)が知り合い、お互いの身の上話をするという構成になっています。「奇遇の巻」「戦場の巻」「怨言の巻」「自害の巻」の4巻からなり、比丘尼・若葉と芳野の人生が語られます。21歳の若さで書いたとは思えない物語構成と作風の奥深さは、尾崎紅葉の「天才さ」を物語っています。

※1、比丘尼(びくに)とは、女性の僧侶のことです。

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まとめ

今回は尾崎紅葉の作品の解説やおすすめ作品をご紹介しました。明治時代の文豪とあって、現代の私たちにとっては読みにくいところもあるかもしれません。しかし尾崎紅葉が描く人間の心理描写を読んでみると、今も昔も同じようなことで悩んでいるのだなと考えさせられます。現代語訳版もありますので、興味のある方はぜひ一度読まれてみてはいかがでしょうか。

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>>尾崎紅葉ってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや泉鏡花との関係や死因は?

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