石川淳ってどんな人?その生涯は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]最後の文人 石川淳の世界 (集英社新書)

石川淳は、明治時代から昭和の終わりにかけて活躍し数多くの作品を残した人物です。和漢洋の知識を持ち、戦後は無頼派としても活躍しました。彼の作品は美しい文章や独自の世界観が特徴で、孤高の作家とも呼ばれた人物です。今回は石川淳の生涯や性格を物語るエピソードをご紹介します。

石川淳の生涯

石川淳は明治から昭和にかけて生き、88歳で亡くなりました。ここでは石川淳の生涯を追っていきます。

誕生から大学時代

石川淳は1899年(明治32年)に現在の東京浅草で生まれました。父は銀行家で東京市議会議員、共同銀行取締役の斯波厚、祖父は漢学者の石川省斎です。本名は「じゅん」ではなく「きよし」と読み、6歳から論語を学び、淡島寒月より発句の手ほどきを受けていました。中学時代には古典、江戸文学、夏目漱石や森鴎外、岩野泡鳴が愛読書でした。1917年に旧制官立東京外国語学校の仏語部に入学しアナトール・フランスやアンドレ・ジッドに傾倒します。卒業後は日本銀行調査部に勤務しますが、程なくして退職し、その後は横須賀海軍砲術学校のフランス語講師や海軍軍令部に勤務しました。

作家活動開始から戦前まで

石川淳の作家活動は東京外国語学校の同窓生を中心として同人誌の『現代文学』の創刊に参加したことから始まり「鬼火」「ある午後の風景」などの小説を発表しました。この頃の石川淳は「アナトール・フランスばりの形式美の追求者」と小島政二郎から評されたそうです。またアナトール・フランスの『赤い百合』の翻訳やアンドレ・ジッドの『背徳者』の翻訳を刊行しました。

1924年には旧制福岡高等学校の仏語講師として赴任しましたが、1925年に学生運動が発生し、関係していた社会科学研究会は治安維持法違反として解散させられ、石川も辞職を勧告されます。休職ののち退職し、退職後は東京に戻り、放浪生活となります。この時期はアンドレ・ジッドの『背徳者』の翻訳をした他は10年ほど活動を休止しました。

1933年からは評論などの執筆を再開し、1935年には『佳人』を発表。『普賢』では芥川賞を受賞しました。しかし時代が太平洋戦争へ向かう中で、1938年の『文学界』にて発表した「マルスの歌」が反体制的との理由で発禁処分と罰金刑になったこともあり、戦時中は森鴎外の史伝の意味を明らかにした『森鴎外』、『文学大概』などの評論や、自ら「江戸へ留学」していたと語ったように江戸文学の研究に没頭していました。
1945年には空襲によって被災したため千葉県へ転居し、厚生省へ勤務中に終戦を迎えました。

戦後の活動と晩年

戦後になると旺盛な執筆活動を再開し、太宰治や坂口安吾、織田作之助らと共に無頼派と呼ばれます。
1950年からは『新潮』に夷斎というペンネームでエッセイも執筆するようになり、この頃から阿部工房が師事しています。1963年には日本芸術院会員に選出され、1967年に中国で文化大革命が本格化した際には、三島由紀夫や川端康成、阿部工房と連名で共同声明を出すなど活動しました。

また、1953年の54歳の時に20歳年下の吉沢活(いく)と結婚し、息子と娘が生まれます。海外への訪問も積極的に行い、ソ連や東ドイツ、チェコ、フランス、中国、イタリア、オランダなどへ使節として、個人として渡航しました。

1962年以降は、芥川賞選考委員、太宰治賞選考委員、大佛次郎賞選考委員なども勤め、朝日新聞文芸時評欄を担当するなど活躍しました。また『鴎外選集』の編者をつとめたり、晩年は大岡信や丸谷才一と共に歌仙連句の興行を始めます。石川淳は晩年も旺盛な執筆活動を続けましたが、1987年12月27日に肺癌による呼吸不全のため88歳で死去しました。遺志により葬儀が行われなかったため「石川淳と別れる会」が開催されました。

石川淳の性格を物語るエピソード

石川が54歳の時に結婚した妻・活によると普段はあまり喋らず、黙々と原稿用紙に向かったり読書したりするので家の中は静かでしたが、お酒を飲むと饒舌になったそうです。
また坂口安吾はエッセイの中で、銀座にお酒を飲みに行くと、石川の姿をよく目にしたというので、お酒好きの一面が伺えます。

また著書『森鴎外』のなかで、大正4年石川淳が中学生の時、浅草からお茶の水の中学校に通うため、電車に乗っていたところ、偶然森鴎外を見つけ、見とれているうちに降りるはずだった駅で降りずにそのまま乗ってしまったというエピソードが書かれています。その日は学校へ行く気にならず、現代で言う喫茶店でコーヒーを飲んだそうです。鴎外への憧れや学校へ行かずに喫茶店にいくといった生意気さが見えるエピソードです。

まとめ

戦後無頼派と呼ばれた作家たちの中でも、88歳と長生きして生涯作品を生み出し続けた石川淳。戦後は無頼派として旧体制の文学への批判的な態度や活動を示したり、独特の世界観の作品を生み出し続けたりしました。彼の作品は小説やエッセイ、評論など幅広く、歴史物や現代劇のようなファンタジーもあります。この機会にぜひ、独特な世界観や時代の様子、美しい文章などを作品を通して味わってみてはいかがでしょうか?

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