井伏鱒二ってどんな人?その生涯や本名は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]師・井伏鱒二の思い出

井伏鱒二の代表作「山椒魚」を読んだことのある方は多いのではないでしょうか?井伏鱒二は、佐藤春夫に師事し、太宰治の先生だったことでも知られています。太宰が命を断つときに残した書き置きには「井伏鱒二は悪人なり」と書かれていたそうです。明治に生まれ、平成まで生きた井伏鱒二とはどのような人物だったのでしょうか。今回は、井伏鱒二の生涯やエピソードをご紹介します。

井伏鱒二の生涯

井伏鱒二(本名・満寿二)は1898年(明治31)、広島県に生まれました。本名は「いぶし・ますじ」です。井伏の家系は室町時代まで遡ることができるほどの名家でした。幼い頃に父親をなくした井伏は祖父に育てられ、とても可愛がられていたそうです。後年、ペンネームを「鱒二」と表記したのは、幼い頃から「釣り」が好きだったためと言われています。

旧制中学校に入学すると絵画に興味を持ち、中学卒業後の3ヶ月間、京都や奈良に写生の旅に出かけました。そのときに使っていた宿の主人が日本画家の大家・橋本関雪と知り合いであったため、直接会って弟子入りを申し出ますが、あっさりと断られてしまったそうです。また中学時代に森鴎外に手紙を送り、返事をもらったというエピソードもあります。

その後、文学好きだった兄の勧めで早稲田大学予科に進学します。しかし3回生の頃に担当教授とのいざこざに巻き込まれ、一時的に休学。半年後に復学を申し出ましたが、これも反対され、結局大学を中退することになりました。

大学中退後、井伏は本格的に文学の道を志すようになります。1923年(大正12)、同人誌に「幽閉」を発表。この作品はのちに代表作「山椒魚」として世に出ることになります。中学時代の太宰治は「幽閉」を読んで、とても感動したという逸話が残っています。

井伏は同人誌に作品を発表するかたわら会社勤めも経験し翻訳や編集業務に携わったそうですが、性に合わずに3度も入退社を繰り返しました。またこの時期に、井伏の師匠である佐藤春夫と出会い、そのときに持参した作品が「鯉」です。

1927年(昭和2)、「歪(いびつ)なる図案」で初の原稿料を手にしたものの、なかなか芽が出ず、執筆活動といえば文藝春秋の「婦人サロン」に文章を発表する程度でした。しかしそのようななかで、この年に当時15歳だった秋元節代と結婚し、荻窪に家を建て生涯をこの地で過ごしました。

その後「幽閉」を改作した「山椒魚」を発表し、太宰治と初めて知り合いになります。
文壇で注目されるまで時間がかかった井伏ですが、小林秀雄に認められるなど少しずつその存在が認められるようになったのもこの時期からです。1931年(昭和6)、作家・林芙美子と因島(いんのしま)を訪れ、林芙美子の鋭敏な感性に触発されたことがきっかけとなり、井伏の名訳「サヨナラだけが人生だ」が生まれます。

1938年(昭和13)、「ジョン万次郎漂流記」で第6回直木賞を受賞したことにより、井伏の人生が大きく動き出します。でした。文壇で認められた井伏は、以降多くの作品を世に発表します。1939年(昭和14)には、弟子として可愛がっていた太宰治と妻・美知子の仲人も行っています。

やがて戦争が始まると、井伏は陸軍に徴兵されシンガポールに駐在し、日本語の新聞の編集者となります。役職は「昭和タイムス」の責任者でした。シンガポールからの帰国後、山梨の甲府に疎開しましたが、空襲に合うなど危険な出来事もあったそうです。

終戦後は「黒い雨」などを執筆し、1966年(昭和41)に野間文芸賞を受賞。同年に文化勲章を受賞しています。また、第17回から38回にかけて直木賞選考委員、第39回から第47回にかけて芥川賞選考委員を務めるなど、井伏の文壇での地位は揺るぎのないものとなりました。

これ以降も「私の履歴書」や「荻窪風土記」を発表し、精力的に執筆活動を行います。1972年(昭和47)に「早稲田の森」で読売文学賞を受賞。1990年(平成2)にはそれまでの業績を讃えて、名誉都民に認定されています。そして1993年(平成5)、95歳という天寿を全うしました。

性格を物語るエピソードは?

井伏鱒二は太宰治の師匠として知られています。井伏は大変面倒見がよかったようで、道を踏み外そうとする太宰治を見捨てずに、最後まで可愛がりました。また太宰の結婚の仲人をしたのも井伏でした。太宰の最後のメモには「井伏鱒二は悪人なり」との一文が残されており、そこからは両者の関係性の悪化が見てとれますが、太宰が自ら命を断ったとき、井伏は大泣きしたと伝えられています。そして井伏は太宰について「もうあんな天才は出ない」と嘆いたそうです。

死因について

明治から平成の時代まで生きた井伏鱒二は、1993年(平成5)、肺炎のためにこの世を去りました。享年95歳。自宅近くで行われたお別れ会には、多くの参列者が訪れました。

まとめ

今回は井伏鱒二の生涯についてご紹介しました。明治から平成まで生きた井伏鱒二は、その長い生涯の中で多くの作品を残し、その作品は今もなお読者に愛されています。代表作「山椒魚」をはじめ、「ドリトル先生」シリーズの翻訳なども手がけた井伏鱒二。どの作品も平明で読みやすいので、まだ読んだことのない方はぜひ井伏作品を読んでみてください。

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