福永武彦ってどんな人?その生涯や家族は?性格を物語るエピソードや死因は?

出典:[amazon]福永武彦 新潮日本文学アルバム〈50〉

「福永武彦」という作家をご存じですか?福永武彦は戦時中から戦後にかけて、理知的で繊細な小説を執筆した作家です。その題材は多岐にわたり、同性愛や原水爆など、当時としてはセンセーショナルな内容の作品も残しました。福永武彦は1979年に亡くなりましたが、その家族もまた、芸術の世界で活躍しています。今回は、多くの小説を残し、詩人・フランス文学者でもあった「福永武彦」についてご紹介します。

福永武彦の生涯

幼少期 ~母との死別~

福永武彦は、大正7(1918)年3月19日、現在の福岡県筑紫野市で生まれました。父・末次郎は東京帝国大学の大学生、母・トヨは宣教師でした。美男美女であった父母の写真が、現在も残されています。
福永武彦が生まれた翌年、父・末次郎は大学を卒業し、銀行員となります。末次郎は転勤が多く、福永家は引越しを繰り返すこととなりました。一方、母・トヨは武彦の弟を出産後、産褥熱で亡くなります。トヨ29歳、武彦7歳の時でした。幼くして母と死に別れた体験が、福永武彦の文学に影響を及ぼしていると言われています。

学生時代 ~上京と失恋~

母の死の翌年、父の転勤に伴い、福永武彦は上京します。最初に住んだのは現在の品川区戸越でしたが、間もなく転居し、中学時代まで雑司ヶ谷周辺で暮らします。
昭和5(1930)年、武彦は東京開成中学校に入学。ここで、生涯の友となる中村真一郎と出会います。
第一高等学校文科丙類に在学中の昭和10年(1935)年頃、福永武彦は人生最大の失恋を経験します。1学年下の男子学生への恋に破れ、その懊悩ぶりに、周囲の人々は武彦の自殺を危惧したのだそうです。この失恋は「草の花」体験と呼ばれ、代表作『草の花』をはじめ、福永武彦の数多くの作品に生かされています。

20代 ~戦争と病と「マチネ・ポエティク」~

福永武彦が東京帝国大学文学部仏蘭西文学科を卒業したのは、昭和16(1941)年。第二次世界大戦の開戦が目前に迫っていました。
そんな中、福永武彦は中村真一郎や加藤周一などとともに「マチネ・ポエティク」を結成し、文学運動を起こします。「マチネ・ポエティク」は文学運動としては成功しませんでしたが、詩壇に一石を投じました。
この頃から、福永武彦の体調不良が目立つようになります。戦時中だけでも心臓神経症、盲腸、肺炎、急性肋膜炎を患い、戦後まもなく、肺結核で療養生活を送ることとなりました。

30代以降 ~療養を終えて~

昭和28(1953)年、肺結核の療養所を退所した福永武彦は、35歳になっていました。療養中も『風土』などの作品を発表していましたが、退所後はさらに精力的な執筆活動をおこないます。『草の花』『冥府』といった代表作をはじめ、探偵小説やSF小説、怪獣映画の原作など、幅広いジャンルの作品を手掛けました。
私生活では、学習院大学文学部講師(のちに教授)として、1953年から晩年まで勤め上げました。また、中学の同級生であった中村真一郎だけでなく、室生犀星や堀辰雄など、生涯にわたり多くの作家と交流していたそうです。

福永武彦の家族は?

福永武彦は2度結婚し、1男を授かっています。

最初の妻…山下澄

昭和19(1944)年、結婚。昭和25(1950)年、離婚。
「原條あき子」として活躍していた詩人です。「マチネ・ポエティク」のメンバーでもありました。

2度目の妻…岩松貞子

昭和28(1953)年、結婚。
福永武彦のサナトリウムでの療養仲間だった女性。福永武彦と添い遂げました。

息子…池澤夏樹

福永武彦と山下澄の長男。苗字が池澤であるのは、山下澄が再婚し、池澤姓となったためです。
小説家・詩人・翻訳家として知られ、世界文学全集、日本文学全集の編纂もおこなっています。
幼い頃に両親が離婚したため、高校生になるまで、福永武彦が父であることを知らなかったそうです。

孫…池澤春奈

福永武彦の息子・池澤夏樹の娘。声優・歌手・エッセイストとして活躍しています。

性格を物語るエピソード

戦時中は参謀本部で暗号の解読をおこなっていた福永武彦。言葉を並べ替える「アナグラム」が大好きだったそうです。推理小説執筆時のペンネーム「加田伶太郎(かだれいたろう)」は「誰だろうか」、SF小説執筆時のペンネーム「船田学(ふなだがく)」は「福永だ」のアナグラムになっています。
また、徴兵を逃れるため、1か月で15kg体重を落とし、徴兵検査に臨んだのだそうです。
理知的で繊細な作風が持ち味である福永武彦の、お茶目な一面をうかがうことが出来ます。

福永武彦の死因は?

福永武彦は40歳で胃潰瘍を発症し、長年にわたり入退院を繰り返していました。
昭和54(1974)年8月6日、胃潰瘍が悪化したため長野県・佐久総合病院に入院したのち、同月13日の朝、脳内出血で亡くなりました。61歳でした。
現在は、東京都の雑司ヶ谷霊園で眠っています。

参考文献

・『新潮日本文学アルバム50 福永武彦』新潮社,1994
・池澤夏樹,池澤春菜『ぜんぶ本の話』毎日新聞出版,2020

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